栄子のちょっとエッセイ

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2006年4月24日(月)
みなさんの切なる思いをしっかり受けとめて…

五島市で障害者団体の役員さんと懇談

 4月17日から22日までの第一次九州・沖縄キャラバンで、五島市・長崎市・佐世保市・西海市・南島原市をかけめぐりました。
 医療や福祉の現場での懇談では、どこでも時間が足りないほど、いろんな思いを率直に語っていただきました。医師会の幹部の方は、「保険証一枚で安心して医療を受けられる」という、日本共産党の主張はもっともだ。しかし、保険証があっても窓口負担が重く、今日はお金がなくて払えないが、給料が入ったら支払うので治療を受けさせて下さいと、頼まれることが多くなった。」と語られました。
 ある福祉の現場では、「3月まで無料だった昼食が障害者自立支援法で有料となり、4月から一食230円を支払ってもらうようになった。実は一食630円かかっているので、差額の400円は法人で負担している。」と、話されました。
 街頭宣伝では、高齢者の方から「いい話を聞かせてもらった。」と、声をかけていただいき、地元の西海市では宣伝カーを見かけただけでも手を振って下さいました。
 励ましをいただき、これからも広い県内をかけめぐります。

2006年4月17日(月)
あまりに悲しくて、使えない言葉があります

私の話を熱心に聞いてくれました

 格差社会の広がりは、世論調査でも6割から7割の人々が実感されています。諫早市有喜地域で開いた「党を語る会」。そこに、参加された高齢の男性は、「長生きできる人は、家族がいて月5万円ほどの年金を小遣いとして使える人。一人暮しで年金を
頼りに生活している人は長生きできない。死ねと言われているようなもの。」と、話された。

 実は、「死ねと言われているようなもの。」との、悲痛な声を寄せられる事が多く
なっています。けれども、私はあまりにも悲しいこの言葉を口にすることができずに、「長生きするな」という言葉で街頭から訴えています。

 私は、「幸せになりたい。でも、隣に泣いている人がいれば幸せになれない。みん
なで幸せになりたい。」その生き方として、日本共産党の一員となりました。
 いま、私も党もがんばり時です。17日から22日まで第1次キャラバンとして、春名なおあき比例候補を先頭に地方議員のみなさん支部のみなさんと共にかんばります。

2006年4月11日(火)
22年ぶりに夫婦だけの生活に

夫は瀬渡し業です

 末娘が旅立って1週間が過ぎました。夫婦二人の生活は、約22年ぶりです。
 「二人しかいないからな」と、夫のこれまでにない、ていねいな「おはよう」で一日が始まるようになりました。
 舅(13年前に他界)が、膝が痛くなり座ることが苦になった時に買った7人家族用のテーブルでいまでも食事をしています。

 候補者としてのスケジュールのおかげもあってか、スムーズに子離れができたようです。それでも、娘からのメールをニコニコして報告する夫とともに、友達ができた娘の様子にホットしています。

2006年4月3日(月)
障害者に冷たい「障害者自立支援法」

 施設での懇談中央が私です

   31年ほど前の学生時代、歩行が困難で車イスを利用している男性から、「列車に乗り込むのを手助けしてほしい」と言われ、ボランティアに参加したことがあります。
 ある大きな駅でしたが、当時は改札口の幅が狭く、車イスでは通ることができませんでした。そこで、団体専用の改札口の使用をお願いしたのですが、団体以外はだめだと断られました。
 いまでは、信じてもらえないかもしれませんが、ボランティアの一人がその男性をおぶって通り、残りのボランティアが車イスを運びました。


 最近、障害者小規模通所施設のみなさんと懇談する機会がありました。4月1日からスタートした「障害者自立支援法」は、工賃より高い施設利用料を負担しなくてはなりません。「障害者が家にこもるようになるのでは」との、心配の声を聞きました。
 バリアフリーが進んでも、社会参加を困難にする政治に怒りを感じます。

2006年3月28日(火)
ついに、末娘も旅立つ春です

真ん中が末娘です

 春は旅立ちの季節です。我が家でも末娘が、動物看護士をめざし福岡にある専門学校で学ぶため旅立ちます。

 私が初めて町議選挙に立候補した時には、まだ4歳でし
た。子育てと選挙活動や議員活動を両立させるには、それなりの苦労がありました。
 そんな時には、「仕事に違いはあっても女性は誰もが、家庭や子育てや介護との両立に苦労している。私だけではないし、だからこそ役に立てる。」と、がんばってきました。

 夢に向かって旅立とうとしている娘。私も負けないように来年の夏に向けてがんば
ります。

2006年3月21日(火)
年の数だけ本を読みたい

 私の唯一の趣味は読書です。子供の頃に親に与えてもった「少年少女文学全集」が始まりだったと記憶しています。
 実は、ストレス解消・気分転換のために、趣味を増
やそうとしたのですが、どうしても時間のやりくりができず断念。その点、読書は自分のペースで楽しめるし、読んだという満足感を得ることができます。

 30歳の私は、お腹に3人目をかかえ子育てに毎日をバタバタ。それでも
30歳の記念にと30冊の本を読破。 いま、50歳になる今年は50冊を目標に、6冊目となる東松照明編の「長崎曼荼羅」(長崎新聞社刊)を読み終えました。
 被爆した顔からだけでなく、綺麗な顔からも写してもらったという
女性へのやさしさと、諫早湾干拓の「ドライスキン」のするどさが一番印象に残りました。

2006年3月14日(火)
人がいないところで始めた私の街頭宣伝ですが

長崎市内で

 これまで、山・川・海に囲まれた場所で、演説することの多かった私です。35歳の時に、初めてマイクを持って話すことになり、隣の町の党議員についてもらいました。
 
 それでも、恥かしくて家がなく人の通らない場所を選んで第一声。いまでも、その場所とその時ことが忘れられません。

 そんな私が、参議員予定候補者として、長崎市の繁華街で街宣をスタートしました。
 
「小泉内閣によって、貧困と格差の広がった社会。お年寄りやハンディを持つ人から人間らしく生きることさえ奪おうとする政治のあり方を許せない。格差をなくし、支えあえるあたたかい社会をとりもどしましょう。」

 クラクションを鳴らして声援をおくってくれた方がいました。車の窓を開けて手を振ってくれた方も。じっとたたずんで聞いてくれた方がいました。本当にありがとうございます。
 励ましをもらって、いよいよ県内広く回ります。

2006年3月7日(火)
同じ名前の人に支えられて

長崎県党会議で春名さんと

 07年参院長崎選挙区候補として、記者会見して1週間が過ぎました。
 今日は、17時
30分から「民主ながさき」号外を持って、夫と二人でご近所の人たちと対話。38人の方々にお会いできました。
 みなさん、新聞やテレビでご存知で、「努力はいつか報わ
れる」「今度は、時間があるから何とかしたい」など、あたたかい励ましをいただきました。
 
 さて、春名なおあき参院比例候補との共通点は4月生れだということだけかと思っていました。ところが春名候補のお母様の
お名前が幸(みゆき)さん、実は、私の夫の名も幸(みゆき)です。偶然にも同じ名前の人に支えられていることがわかりました。

 記者会見後、夫が2人、私も2人の「しんぶん赤旗」日曜版読者を増やすことができました。「こつこつ」頑張るの第一歩です。