栄子のちょっとエッセイ

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2006年6月26日(月)
ずっと感じてきた、海で働く男のきびしさと、それを支える女のたくましさ

好評の液体石けん

 私は、大瀬戸町に嫁に来て以来、ずっと漁協女性部の一員です。と言っても、亡くなった舅はすでに漁をやめ瀬渡業でしたし、夫がそれを継ぎましたから、漁の手伝いをしたことはありません。
 それでも、海で働く男のきびしさと、それを支える女のたくましさを常に感じながら暮らしてきました。

 大瀬戸町漁協女性部が、海を守るために一貫して取り組み続けていることが二つあります。一つは、浜掃除です。もう一つは、石油から作られた合成洗剤を使わずに、台所で料理に使った後の油を利用して自分たちで作った石けんを普及することです。
 これまでは、固形石けんでしたが、もっと使いやすいようにと昨年から液体にしました(写真。)これが、好評で先日、長崎市たちばな漁協女性部のみなさんと一緒に、作業した様子を長崎新聞で大きく報道してもらいました。

 海の恵によって生かされている私たち漁業者の家族です。それだけに、宝の海と言われた諫早湾が干拓事業によって大きく姿を変えさせられたことに、わがことのように心が痛みます。

 諌早湾干拓事業は農水省の試算でも、投下した税金の効果(費用対効果)はが0.81(公共事業では1.0以上が必要だとされています)と、採算ラインを割っています。6月25日開催の市民団体によるシンポジウムでは何と、0.19が真実だと報告されました。
 宝の海を奪われ、多くの犠牲を払ったのに、ほとんど効果のない事業だった…有明海の漁師にとっては、過酷な数字です。
 出来あがった農地は県が約53億円で買い上げリースする方針です。県民にとって重い負担を続けさせようとしているのが、国と県です。

2006年6月20日(火)
黙々とビラを折るじいちゃんの姿に、どれだけ励まされたことか

お坊さんがお経を

 今日20日は、じいちゃん(舅)の月命日です。亡くなって14年目になりますが、毎月、お坊さんに経をあげてもらいます。
 じいちゃんは信仰の厚い人でしたから、家族はその気持ちを大切に偲んできました。私も、今日は休みだったので、ゆったりとしたひとときを過ごしました。

 舅は、北九州市から嫁にきた私を大切にしてくれていました。それだけに、党公認で町議選挙に立候補することを相談した時には、猛反対。
党に対して好意的でありませんでした。
 それに、地域の役職を務め、町会議員になったこともあり、選挙を経験していたからこそ、私に苦労をさせたくないとの思いが強かったのでしょう。


 反対を押しきって立候補した最初の町議選挙で、私は14票たらずに落選。その翌朝、4年後を目指して頑張ると表明した民報(ビラ)を、じいちゃんが、黙々と折ってくれました。その姿に励まされたことを今でも忘れません。  


 じいちゃんが信仰していた宗派は、「平和憲法改正の道を開き、国際紛争を解決する手段として戦争をも辞さない国を支える人づくりを目指すとともに、強者の論理に立つ能力主義で人間を分断することを推し進めようとする教育基本法改正には反対」と決議をしています。

 きっと、じいちゃんは今の私の活動を、見守ってくれていることでしょう。

2006年6月13日(火)
改めて実感、光っている日本共産党の議席

上田雲仙市議と

  紫陽花が美しい6月です。6月といえば議会の定例会がある月。町議を務めたことのある私は、ついつい意識してしまいます。

 先日、雲仙市議会の傍聴に出かけました。し尿・汚泥処理施設の建設工事をめぐる談合事件が発覚。(12日に改正独禁法が初めて適用され起訴。)

 雲仙市で建設されているし尿・汚泥処理施設もその一つでした。大きな問題です。これをとりあげたのは、一般質問にたった議員18人のうち最後に質問した日本共産党の上田篤議員ともう一人でした。
 もう一人の議員の質問に対して助役は、「捜査状況を見守っている」という答弁だけでした。
 ところが上田議員が登壇し、入札結果一覧表の資料を示し、「合併前の昨年8月から公正取引委員会が調査していたこと。他の自治体の市長は、確定すれば不当利得は返還させると明言していること。市長が答弁せず助役が捜査を見守ると言うだけなのは、市民に対して無責任だ。」と追求しました。
 
 そのとき議場の空気は一変。「契約書の中にも請負代金の10%を賠償する取り決めがある。確定すれば弁護士と相談して賠償を請求する」との答弁を引き出しました。


 日本共産党の1議席の値打ちが光った場面です。来年4月はいっせい地方選挙、そして夏は参議員選挙です。
 改めて、がんばろうとファィト満々になりました。

2006年6月6日(火)
一日の作業賃が200円…。ぜひ、知って欲しいこの現実を

 我が家の玄関に

 200円…。100円硬貨で2枚です。小学生のお小遣いではありません。
 ある身体障害者福祉作業所の一日の作業賃です。所長さんは、「時給ではありませんよ。一日の作業賃ですよ。」と、念をおされました。
 そして、「政治は、障害者年金があるからいいではないかと思っているようだが、決してそうではありません。仕事に見合う評価をしてもらってこそ生きがいです。せめて月に1万円の作業賃を求めることが、関係者のスローガンになっています」と、語ってくれました。


 この福祉作業所では、段ボールの素材をひも状にしたものを竹細工のように組んでいきます。訪問した記念にと、買い物かごを購入しました。サービスにつけてもらったかごに、大瀬戸に住む知り合いが焼いてくれた花炭を入れて、我が家の玄関に飾りました。(写真)


 私が社会人となって最初の職場は、知的障害者の福祉施設でした。そこで、洗濯ばさみを組みたてる作業を経験したことがあります。1個が「何銭」の世界でしたが、いまも変わっていないことを実感しました。

 一人でも多くの方に、知っていただきたい。その思いで、作業所で購入したかごを持って、買い物に行くのが私の日課になりました。

2006年5月30日(火)
午前中は穏やかに、午後は怒りの気持ちで見つめた私…同じ海なのに

 「ご神体」です

 5月28日。私が住んでいる地域にとって一番大きな行事である、恵比寿大祭がありました。これは、海の安全と大漁祈願、そして子どもたちの健やかな成長を願って旧歴の5月5日に行う神事です。
 赤と白のペーロン船に地域の若者が乗りこみ、競争。勝った船にご神体(写真)を乗せ、天下島沖に納めます。
 私は、朝から公民館で地域の女性のみなさんと一緒に、炊き出しに汗を流しました。

 同じ日の午後には、米原子力空母リンカーン佐世保入港反対県民集会に参加しました。そこでは青年を代表して19歳の堀江一平さんが、「未来は青年のものですが、平和であってこそ未来です。未来に空母はいらない。基地はいらないとの声を広げたい」と訴えました。その言葉にとても感激しました。
 私は、佐世保をアメリカ軍の出撃拠点基地にするのは許せない、という思いでデモ隊の先頭にたって行進しました。


 この日は、午前中は穏やかな気持ちで海を見つめ、午後は怒りの気持ちで海を見つめました。

2006年5月22日(月)
26歳の青年候補の熱い訴えに、私が元気をもらいました

26歳の中西さんと

  5月21日、本当に久しぶりの晴天です。長崎市の東長崎地域で街頭から訴えました。今日の私のパートナーは中西あつのぶ長崎市議候補。26歳になったばかりの青年候補です。初めてのコンビでした。
 中西あつのぶさんは大阪市立大学経済学部を卒業し、国民金融公庫長崎支店に勤めて3年。仕事を通して見えてきた中小・零細業者の困難を解決するには政治を変えるしかないと、長崎市議に立候補を決意。この春、仕事を辞めて党の職員になりました。
 「若い世代が不安定な雇用・就職難・高学費など、人間として大切にされていないのは政治の責任。解決のために頑張りたい」と、若さをぶつけての訴えは私の胸にも響きます。

 私は、5月18日に衆議院本会議で自民党・公明党などの賛成で可決した「医療制度の改悪案」ついて訴え。混合診療が組み入れられること、高齢者の窓口負担が増やされるうえ、新たに保険料が年金から天引きされてしまうこと、長期の入院に対応するベットの数が大幅に減らされることを知らせ、「これでは命にまで格差が持ち込まれてしまいます」と、マイクにも力がこもります。

 一方、米軍の在日基地を再編強化するために、3兆円もの国民の税金が使われようとしています。同じ日に、日本共産党の井上さとし参議院議員が、「沖縄からグァムに移転する米軍の住宅に、一戸あたり8,000万円も使われること」を明かにさせました。「高齢者を病院から追い出す政策を進めながら、私たちの納めた税金を米軍には湯水のように注ぎこもうとする、いまの政治をご一緒に変えましょう」と訴えました。
 
 親戚も同級生もいない長崎で、党の政策を訴えてがんばる中西さん。その姿を見て、初めて立候補したとき自分の姿に重なるものがありました。長崎に来て22年目、50歳になったばかりの私ですが、青年中西さんに大いに元気をもらいました。がんばりま−す。

2006年5月16日(火)
活動開始から80日、2000人のみなさんと会うことができました

大村の新婦人のみなさんと

 参議院選挙の選挙区予定候補者となって80日が過ぎました。おかげさまで、この間、懇談・つどい・語る会・会議・来賓としての招待など、さまざまな形で会うことができた方々が、2,000人を超えました。
 県内は、広くてまだまだ一巡できていませんが、直接会って話を聞かせていただけることは、本当に貴重な体験で、いろんな事を吸収させてもらっています。
 
 2月末の立候補発表の時、記者の方から「なぜ、こんなに早く立候補を決めた
のか」と質問されました。「来年の選挙で党の前進を勝ちとり、国民のみなさんの困難を解決できるようにがんばりたい。同時に、憲法改定の動きや消費税増税・社会保障切り捨てなどの動きに待ったをかける活動も大事にしたいから」と、答えました。
 これまでより、早く活動を始めたことで、幅広い県民のみなさんとじっくり向き合うことができます。寄せいただいた切実な願いは、国会議員団長崎県事務所の所長として、党の国会議員にしっかりつなぐようにしたいと思っています。

 マスコミの方々には、早いと感じられた立候補表明でしたが、時が立つのは早いも
ので、選挙まで一年あまりとなりました。一日一日を大切に力をつくしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

2006年5月9日(火)
声あげて読んだ教育基本法

憲法講演会に娘と

 4月に我が家を旅立ったばかりの末娘が、連休を利用して帰省。5月3日、長崎県九条の会主催の「平和憲法を守ろう講演会」に親子で参加しました。 前長崎市長の本島等さんが、2月14日付の「しんぶん赤旗」に国民健康保険証の取り上げが30万件を超え、470万世帯が保険料を払えなくなっているという記事を資料として配布。しかも、資料には、「私たちに必要な情報を正確に敏速に伝えてくれる赤旗」と示されていて、心強い励ましをいただいたようでとても嬉しく思いました。

 憲法学者で東京大学名誉教授の奥平康広さんは、講演の中で「長崎では原爆の語り
部に、戦争責任や憲法9条など意見が分かれることは発言しないでほしいと求める問題が出ているが、表現の自由の立場からすれば、意見が完全に一致することなど何一つありません。ある出来事に意見をもつから語り部活動をするのです」と語られました。とても大事な指摘だと思いました。 
 5月5日に制定された児童憲章は、「憲法の精神にしたがい」から始まり、教育基本
法も、「憲法を確定し」から始まっています。そのことを改めて意識し、今日9日、声に出して読みました。

2006年5月2日(火)
父の影響で作業服姿が好きになりました…メーデーの日に

川棚のメーデーであいさつ

 5月1日メーデーです。午前中は長崎市公会堂前広場で、午後からは川棚町城山公園野外音楽堂でのメーデーに参加しました。
 午後のメーデーでは、例年、地元の党支部に案内があり三根町議があいさつをされてきたそうです。しかし今回は私にと党支部から要請されました。
 民主党の山田衆議員のあいさつと社民党福島党首のメッセージの代
読の間の、二番目に日本共産党を代表して、来年の参議院選挙の予定候補者しとてあいさつをしました。
 初めての経験でかなり緊張しましたが、連帯と協同で人間らしい労働条件と雇用を勝ち取り、憲法・教育基本法の改悪を許すまいとあいさつしました。
 
 私は、新日鉄(北九州市)に3交代で勤務していた父のもとで育ちました。現場を
見たわけではありませんが、作業服を着て朝出・昼出・夜出と家から働きに出かける父の姿から労働とは何かを教わったような気がします。
 最初は、日本共産党の活動を反対していた父でしたが、町議選ではビラを配りに福岡県から出てきてくれました。町議時代には、台風が長崎県に接近や上陸するたびに、「町内を見回る時には気をつけろ」と電話してくれたものです。
 その父の影響が強いのか、男性の作業服姿が好きです。働く者が報われる社会をめざしてがんばりたい…メーデーの日に思いました。